chary's daiary

少しまじめに社会問題について考えてみたい
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震災から12年
私は地震の数分前に不思議に目が覚めた。
地鳴りのする『ゴー』というすごい音に驚き、布団を頭からかぶると
同時にガッシャンガッシャンと雨戸、窓のサッシが左右にに動き家
はこれまでに経験のないくらい揺れ、私はこれまで震度2や3程度の
地震しか経験がなかったので、地震だとは思えず、何かの衝突あるい
はガス爆発などの事故かと思った。
サラリーマンの不思議さで、そんな状況であっても祝日でもないし
休暇を取得したわけでもないので、いつもと同じ時間に自転車に
乗って会社に向かった。
すると家は倒壊し、ガス管の破裂等でガス臭く、道路は陥没、亀裂が
起き悲惨であった。
会社に行くと、私の机に棚が落ち、棚のガラスがバラバラになり、
もし出勤時刻なら命がなかったのかなって思った。
そこからは住所録にそって安否を確認する作業が始まったが電話を
かけても通じない状況と非難していたり、思うように安否確認が
行えなかった。
震災の数日後から仕事が社宅に水とおにぎりを運ぶ活動になり
そうした活動に没頭したが、やはりどんな状況でも”悪”はいるもので
ある管理職は社宅に行く前に自宅に立ち寄らせて、水とおにぎりを
社宅に人は順番で配給されるにもかかわらず、自分だけ先取りすると
いったことを職権でやらせたやつもいた。
震災とともにこの卑劣な行為は風化するものではない。
私の家も震災で打撃を受け、建替えが必要だったんですが、がれきの
処理がおいつかない状況、震災で家がダメになった世帯が多く、住居を
探すことが容易ではなく、建替え中の住まいが見つからない状況であった
加えて、建築確認もおいつかない、建替えや補修で大工さんが不足し
建替えもなかなかだった。
私は幸いにも家族、親戚、知人、友人を失うことはなかったんですが
震災から日もたち、会社で家族を失った人が出勤するといった状況に
なったときに、どう声をかけたらいいのか非常に困った。
これが私の震災の記憶です。
| chary | - | 09:08 | comments(0) | trackbacks(0) |